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「月の涙」というのは琵琶湖淡水真珠の愛称
この名前は誰が付けたものであろうか。
深く静まり返った大気の中で、音もなく琵琶湖にしたたり落ちる月の滴・・・・・・・。
琵琶湖真珠は、軟らかい月の光を、その小さな粒の中に秘めている。
淡水真珠が初めて世に出たとき、人々は、その神秘的な美しさに打たれ、それが琵琶湖で採れたものとは、容易に信じようとはしなかった。 |
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▲草津市の志那にある平池、ここでは明治頃から淡水真珠の養殖がさかんに行われていた。現在は操業していない。 |
明治の末、真珠王といわれた御木本幸吉の名は、すでに世界の宝石市場に轟いていた。
彼は、明治27年三重県の鳥羽湾でアコヤ貝を使った真珠の人口養殖成功し、着々とその名を高めていた。
「人の手で真珠が作れる」御木本翁のこの成功は、琵琶湖という豊かな水資源を持つ滋賀県の人々に強い関心を抱かせた。「海水でできるものなら淡水でもできる筈だ」、と人々はそう考えた。
大正のはじめ、当時の滋賀県知事川島純幹氏は、琵琶湖での真珠養殖の研究を奨励、県の費用を出してこれを応援した。しかし、その結果はいずれも失敗であった。その頃琵琶湖に目をつけていた御木本翁は、草津市の山田の沖合で採ったダブ貝の中から一個の大きな真珠を発見した。
それは、15mmもあろうかという、立派な天然真珠であった。彼はこの真珠を大正4年(1915)に開かれた「大正博覧会」に出品「世界第二の真珠」と折り紙をつけられた。
にわかに真珠熱が高まり、一攫千金を夢見る人々が琵琶湖の岸辺にひしめき合った。そして更に、大正6年(1917)には、当時の知事川森正隆が、御木本翁から技術者の派遣を受けて、淡水真珠の夢を実現しようと努めたが、その結果は全て空しかった。人々は夢から醒め、次第に琵琶湖で真珠を採ることに見切りをつけ始めたのである。
だが、相変わらず淡水真珠の夢を追い続ける男もいた。藤田昌世がそれであった。
彼は、御木本翁の居る鳥羽湾で、見事、完全に丸い型の真珠をつくり出すことに成功したのである。
彼は幾度か失敗をくり返しながらも琵琶湖で真珠を作る仕事をやめなかった。そして、自分の門下生を京都大学臨海実験所に送り、その研究に当らせた。そして大正14年、カラス貝やダブ貝の中から34個の淡水真珠を取り出すことに成功した。だがその真珠は試作品で市場価値のある代物ではなかった。
藤田はさらに、どんな貝を使えば良いのか、その研究に没頭した。そして「ささの葉」と呼ぶ、小さな貝から、カラス貝、ダブ貝に至るまで、琵琶湖に住む二枚貝は全て調査し研究した。 |
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▲当時の平池に浮かぶ当時の真珠養殖の作業船。 |
だが、彼の前にはだかる壁は厚かった。幾年かの後、藤田は遂に「問題は貝にあるのではなく、水質にある」という結論を出した。この結果は、やがて間違いである事が判るのだが、この誤った結論が奇しくも、もう一人の男を立ち上がらせるきっかけとなった。それが吉田虎之助である。
吉田は当時、滋賀県の水産組合長をしていた。
「琵琶湖で真珠ができるかどうか、それは琵琶湖水産の将来にかかわる大きな問題だ。研究するのに適当な場所がないのなら、わしが提供しようじゃないか」
彼は藤田にそう呼びかけた。そして自分が権利を持っている、草津市志那の平湖を無償で貸し与えたのである。
藤田は、その厚意に応えるべく寝食を忘れて真珠と取り組んだが、真珠養殖の研究貝を充分に集めるためには年間一千万円に上る経費がかかる。それは余りにも膨大な金額であった。
「とても採算はとれませんよ」と、藤田は絶望的に言ったが、吉田はひるまなかった。「よし、わしにまかせておけ」
吉田虎之助が自ら発起人となって「真珠養殖研究会」を作り、資金集めに取り掛かったのは、そのすぐ後だった。
「ダブ貝やカラス貝から真珠がとれてたまるもんけ、まるで気違い沙汰じゃ」人々はそう嘲った。
しかし、吉田はひるまなかった。研究費を作るために、彼は先祖伝来の田畑を売り、家財を手離した。まさに背水の陣であった。
淡水真珠がうまく出来ないのは、汚れた水のせいだと考えていた人々が、貝そのものに問題がある事に気付くまでには、さらに数年の歳月が必要であった。
昭和9年(1920)冬、草津平湖の空はどんより曇り、雪起しの風にそよぐ芦間の水は凍てていた。岸辺に立つ藤田昌世の手には、新しく真珠を作る貝として採用された大きなイケチョウ貝があった。その貝を開いた時、藤田は思わず大声をあげた。
「吉田さん出来た!!」
食い入るように見つめる二人。手にしたイケチョウ貝の中には、丸く美しい淡水真珠が暖かい薄桃色の光を放ちながら、燦然と輝いていた。それは真珠養殖研究会が発足してから実に12年目二人の苦労が見事に報われた瞬間であった。
それ以降は個人商店も出来たが、大東亜戦争に入り、経済、社会などの変化で業績が上がらず、自然廃業のまま現在に至っている。
写真は、琵琶湖淡水真珠の養殖地で知られた草津市の志那の浜の平池。池辺の桜が丁度満開のときを迎えていた。
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(曽我一夫記) |
●アコヤ真珠
ごく一般的に真珠と言えばこの真珠を指します。2〜10mmぐらいのものが多いです。
このサイト上でも、断りのない限り、『真珠』=『アコヤ真珠』とさせていただきます。
アコヤガイから採れた真珠です。
●白蝶真珠
白蝶貝から採れた真珠です。9〜16mmぐらいのものが多いです。
南洋真珠と言われたとき、狭い意味で、この真珠を指します。南洋の海で採れる白い真珠だからです。
大きな意味では、下の黒蝶真珠も、南洋真珠に入ります。
●黒蝶真珠
黒蝶貝から採れた真珠です。8〜15mmぐらいのものが多いです。タヒチで生産される量が多いので、
タヒチ真珠、タヒチパールとも呼ばれます。色が黒を帯びていることが特徴です。
ピーコックグリーンが出るとよいとされます。
●マベ真珠
マベ貝という貝から採れた真珠です。貝殻の表面に形成されるので、半円か、3/4の真珠になります。
15〜25mmぐらいの大きさのものが多いです。
●淡水真珠
池蝶貝、ヒレ池蝶貝、三角貝などから採れる真珠です。この中には最近人気の出てきた湖水真珠が
含まれます。1.2mm〜5.6mmぐらいのものが多いです。
●湖水真珠
色とりどりの色相ができ、形も真円を初めとして、大変変化に富んだ形ができます。
最近は、10mmを超える美しいものができるようになりました。
●コンクパール
真珠独特の真珠光沢を持たず、成分も、カルシウム中心ではないパールです。
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