理系の視点から 第1回 |
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古代史の研究は文献史学と考古学が両輪となり、それに人類学などが加わり進んできた。 1947年に戦後はじめて登呂遺跡が発掘されて以来、日本各地において遺跡の発掘が行われるようになり、およそ30年の間に夏島貝塚(神奈川)、土井ヶ浜(山口)、椿井大塚山古墳(京都)、西都原古墳群(宮崎)、高松塚古墳(奈良)、多賀城跡(宮城)、板附遺跡(福岡)、及び稲荷山古墳(埼玉)などの遺跡で順次発掘がおこなわれ、古代史の研究解釈に意義のある考古学的遺物が発見された。 画期的なこととしては1976年から3年間、考古学的資料に対して自然科学的な手法で何ができるか、どういう手法があるかということを課題とする特別研究が実施され、全国の考古学者・自然科学者のプロジェクトチームが研究に取り組んだことがある。1980年代に入ると、日本全国で開発がらみの重要な発掘が相次ぎ、平行して古代史と考古資料に対する関心は専門家以外にも広がりを見せてきた。加えて自然科学を応用することの進展とともに、そこで得られた結果に基づいて新たな問題提起が行われる、或いは多年にわたる歴史上の難問に解決の糸口が提供されるなど、最新の科学技術を歴史研究に適用する成果が実証的に認識され、今日に至っている。 考古学において資料の年代決定は極めて重要である。考古資料を形式化し、その新古の関係を詳細に組み立てることを行っても、それは相対的年代を示すものであって、暦年代・絶対年代を明らかにするものではない。そのためには考古資料のなかで、金石文や文献などの暦年代もしくはそれにちかい年代を示す資料によって、実年代に接近しなければならない。金石・文献による方法としては、例えば次のようなものが用いられてきた。 |
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このようにこのころの考古学における年代決定は限られた資料を駆使して、苦心して行われてきた。そして、金石や文献のない縄文時代の研究では、縄文土器の形式編年という時代と地域の軸の設定が伝統的に中心となっていた。これに対し研究の手段であるべき時間と空間の軸が研究の目的であるかのようなことはおかしいという、「編年研究の克服」の主張が1950年代に行われるようになった。 年表の作成と歴史とは違うということである。その背景として理化学的方法を用いる年代測定法が、天文学・地質学・古生物学などの自然科学と同じく、考古学でもおなじみになってきたことがある。その代表は年輪年代法と炭素14年代測定法である。 年輪年代法は、大部分の樹木が一年間で年輪を形成することに基づく測定法である。乾期と雨期、温暖と寒冷の交互に繰り返される地域では、年輪の差が明瞭に観察される。1904年アメリカのA.E.ダグラスは、気象研究の一方法として年輪分析を始めた。 その後、ヨーロッパでも研究が進められ、今では建築史、美術史、気象学における必須の技法となっている。わが国では、1980年奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターの光谷研究員がこの研究に本格的に取り組みはじめた。この方法の眼目は有効な暦年標準パターンが適当な樹種について作成できるかどうかに懸かっている。まず、伐採年の判明している樹木を用いて年輪幅を測定することから始めて、そのデータを蓄積していった。 樹木の生長には個体、生育環境、地域による差はあるが、「%(比)」に直すとバラツキが排除でき、自然対数( log )で比較をすると精度が上がることが判明した。次いで発掘で出土した古材を計測して、次々と古い年代の試料のパターン化を進めた。その結果、年輪年代は地域差や個体差を越えた、「普遍的ものさし」として使えることが明らかになった。日本に生育するスギ・ヒノキ・コウヤマキの3樹種について、スギが現在から紀元前1313年まで、ヒノキが現在から紀元前912年、コウヤマキは紀元前741年から22年までの暦年標準パターンが作られている。 1946年アメリカのW.F.リビーが大気上層中の宇宙線の作用によって、天然の放射性炭素が生成する機構をあきらかにし、1949年にはその原理にもとづき炭素14年代測定法を確立した。すなわち宇宙線による中性子が大気中の窒素の原子核を衝撃して、これを原子量14の放射性炭素にかえる。地上の植物は同化作用によって空気中の炭酸ガスから炭水化物を作るが、死ぬと空気中からの炭素の補給は止むが、植物体にふくまれる放射性炭素は規則正しく崩壊して行く。温度や圧力の如何にかかわらず、5730年±40年で半減するので、これを利用して年代を測定するのである。 1950年に行われた夏島貝塚(神奈川)の発掘から得られた試料をアメリカに送り、初めてこの方法による縄文早期の年代測定がおこなわれた。この当時はベータ線法(大規模な設備、グラム単位の試料、測定時間がかかる)であった。その後30年を経過して、質量分析の原理で炭素14を直接測定するため感度のよい、AMS(加速器質量分析)法が導入された。最初は大型装置であったが、最近では小型化し5m四方のサイズとなっている。 試料を炭素単体に変換し、小さなホルダーの穴に詰め測定にかける。数十個を一括してセットし、標準試料と一緒に自動測定する、1試料の測定時間は0.5−1時間である。AMS法の精度が上がるとともに、暦年(実年代)較正の基礎データが整備された。大気中の炭素14濃度の年変動による年代の「ゆがみ」を補正するためのもので、国際的な取り組みが行われ、過去にさかのぼった大気中の炭素14濃度の標準データ(暦年較正曲線)が1986年に発表された。具体的には、年代を特定した年輪試料などを測定して得たデータである。数年おきに改訂がおこなわれ、現在は2004年版が最新である。 この較正曲線をつかって、炭素年代は暦年代に修正される。その他、同位体(炭素13/12)補正も必須とされている。現在ではこのAMS法が炭素14年代測定法の主流を占めるに至っている。 今や、発掘された遺物について最新の科学技術に基づく分析などが広範に利用されている。金属類の産地同定のためには、青銅の鉛同位体分析、鉄の不純物パターン分析がおこなわれている。火山灰、プラントオパールや花粉などの分析は当然実施されているが、更に動植物の遺体についてはDNA、脂肪酸、安定炭素、窒素同位体などの多彩な分析が行われ多くの興味ある情報が得られている。また、古代における金属・鋳物の製造のシミュレーション、古代建築・遺跡の復元なども行われ、検証しつつ進める作業の間に貴重な情報が蓄積されている。 今日の発掘は縄文・弥生などの古代に限定されるものではない。場合によっては一つの場所で江戸時代から室町・鎌倉から弥生・縄文まで層状にかさなっている場合もありうる。歴史の文献が多数存在する近世・中世であっても、発掘される考古資料から民衆(町人、農民、漁民などそれぞれ多くの職業についている人の構成する社会)の一般的生活の情報が得られており、これらは支配階級における興亡を主として記載している文献史からは知ることの出来ない歴史を示すものである。文献の乏しい古代については、より興味が深いことは言うまでもない。古代神話に思いを馳せつつ、科学技術の精華を駆使して得られた考古的資料に関する情報について、あれこれ考えることがまさしく「古代史に遊ぶ」ということではないだろうか? 過去の史学は「知られている事実」を説明するのみで、「知りたい事実」を探求することはなかった。漸く、科学的思考による仮説と実験、理論と正否の検証が行えるような状況に至ったといえるのではなかろうか。そのような観点から古代史研究の場でなにが起こったか、また起こりつつあるかについて「楽しみつつ」継続してみていきたいと考えている。 |
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(岡野 実) | |||||
文献 1)技術の考古学(改訂版) 潮見 浩 有斐閣選書 (2000) 2)考古学の最前線 安蒜政雄、石川日出志ら共著 学生社 (2003) 3)日本史再発見−理系の視点から 板倉聖宣 朝日選書 (1993) |
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