-継体天皇(ヲホド王のち大王) その1- 第19回 |
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古代史について論ずるべく、年表をいくら睨んでも、名論卓説は浮かんでこない。第二次世界大戦後の日本では、明治政府以来の皇国史観の反動として、津田史学が猛威を振るい、記紀などの史料は神話として否定され、考古学的業績に基づく歴史の記述が主流となった。 その中にあって、松本清張の古代史疑をはじめとする、史学・考古学の非専門家の著述が興味ある視点を示唆している労作が多いと考えるが、専門家からは必ずしも高く評価されているとはいえない。 昨今、魏志倭人伝、古事記、日本書紀などを題材とした新書版書籍の刊行が相次ぎ、様々なジャンルの人々から史料の乏しい、神話渺々たる時代に迫る多彩な解釈が提案されている。 これら多数の本を読破しても、このあたりが歴史の真実であろうと喝破するのは一朝一夕にはなしえないことなので、ここらでちょいと一休みし、古代史では尻尾に当たる方を一寸かじってみよう。 取り上げるのは古事記で「日継(ひつぎ)知らす可き王(みこ)無し」と書かれて登場した継体天皇(ヲホド大王)である。 武烈が亡くなったのち継嗣が無く、大連大伴金村らの擁立で越前から迎えられて第26代天皇として即位した。 上古では初代神武、10代崇神、15代応神と「神」の字をその名に持つ天皇の代に歴史上重要なことが起こったとされる。 あるいは新皇統に変わった節目ともされているが、「継体」の皇位継承は重みにおいては、前述の三大天皇と匹敵するものである。 また、前三者は神話の世界あるいは史料のあやふやな時代に止まっているのに反し、記紀に伝えられる継体の即位年および崩御年は、いずれも記録として検証可能とされており、継体の存在は紀年の考察における基点の一つになるとされている。 何よりも現在の天皇家が、確実に継体の血筋を引いていることは特に注目すべきである。 ここではまだ完全にカバーしたわけではないが、これまで探訪した継体(ヲホド)関連の遺跡を紹介することから始めたいと思う。 2011年には3回に亘り、継体の史跡を訪れた。まず、3月に近江国高島郡三尾、7月には摂津の今城塚古墳、そして10月に越前国の坂中井、三国および向へ行き、2012年4月には近江の湖東、坂田・息長を回って、継体に関係のある各地のおおよそをざっと眺めることが出来たと思う。
この王塚田中古墳群には四十数基の古墳が散在し、その主墳は五世紀後半ころに築造されたと見られる全長70mの帆立貝式古墳で、継体の父である彦主人王の墓と比定され、陵墓参考地として宮内庁の所管となっている。
彦主人王は王子が五歳のとき亡くなられ、この地に葬られた」という伝承により比定された。写真で示すように、なかなかに悠久の風情のある王陵であった。 この御陵から南西に広がる三尾里の平地に鴨稲荷山古墳がある。 地元の豪族、三尾氏の首長墓で、1923に京都大学考古学教室の調査で金銅冠、沓、耳飾り、鏡、玉類、環頭大刀など豪華な副葬品が石棺内から発見され、それらは京都大学総合資料館で展示されている。 7月に見学した今城塚古墳は10年間にわたる発掘調査・整備が完了し、「いましろ・大王の森」と「今城塚古代歴史館」として、4月にオープンしている。ここの紹介はスペースの関係もあり、継体天皇の時代的・歴史的背景とともに、別途に紹介することにしたい。 |
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振媛の出自は、明確には記載されていないが、この地方で有力な三国公が出身氏族であるのは間違いないとされている。 ヲホド王はこの有力氏族の庇護の下で、よく学び、よく働き、多くの逸話を残している。味真野に残る学問所は、五皇神社という応神大王からヲホド王の父彦主人王までの五柱の御神霊を祀る神社として、健在である。 ヲホド王は九頭竜川の治水に尽力して、苦心の末成功した。その功績を顕彰するため、水門社という小さな社にまつられていたが、明治に至って
王は越前に滞在中に5〜6人の后妃を娶って、多くの子をなしているが、そのほかに里の女にもご発展であったようで、大王を祀る味真野神社の境内には謡曲「花筐」(はながたみ)を説明する看板があり、又その裏手の公園には銅像「花がたみ」が置かれている。 さて、武烈崩御の後、大和朝廷の使者大伴金村、物部麁鹿火、許勢男人らと王が会見した場所は「てんのう堂」である。今では建物はなく、大きな木と史跡説明の看板が立っている。「日本書紀」には、継体が再
最後に福井市の足羽山山頂古墳のうえに、継体大王の大石像が鎮座している。この場所が大王ゆかりの場所であるというわけではなく、福井県のシンボル、越前で育った大王として、市民に親しまれていると云うことである。 |
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(岡野 実) | |||||
写真は吉本吉彦氏の撮影、転載をご許可頂いたことに感謝申し上げます。 | |||||
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