江戸時代、京都三条大橋を出発して東海道に向かう旅人は、まず京都で京立ち石部泊まり=@と教えられた。三条大橋から石部までは九里(36Km)、1日の旅程にはほどよい距離。
逆に帰りは、一宿延ばして草津宿で泊まり、翌日早い目に京都に着くというのが旅人たちの常識だったようだ。
幕府は慶長6年(1602年)、「伝馬の法」を定め、東海道の各駅に伝馬三十六頭を備えた。
石部は慶長2年(1597年)、豊臣秀吉が長野善光寺の仏がん(仏檀)を京都大仏殿へ移したとき、一足早く駅伝の地に指定した。
甲州経由で東海道に入った仏がんは、土山 - 草津 - 京都へと送られた。
これは秀吉の交通政策のなかでとりあげられ、さらに家康との関係もあって東海道の宿駅の中でも重視されていた。
宿場の総延長は、東西十三町半(1471m)、石部から水口三里半(14km)、江戸日本橋112里(440.5km)、西方石部から草津二里半(11.7km)、京都三条大橋九里二十一町半(37.6km)。江戸から数えて五十一次目の宿場だった。
当時宿場は、大亀町以東の六町(石部上)と、谷町以西の六町(石部下)に分かれ、農家は東半が48軒に対して西半は34軒。旅宿は東半の15軒に対して、西半は37軒と本陣2軒で、圧倒的に西半の京都側に多かった。
当時の宿場の模様をまとめた寛政ころ(1890年)の名所図絵では、西半分が瓦葺きであるのに対し東半分はわら葺きだったと記されている。
宿のはずれは、江戸の方へ102間(184m)京都の方へ970間(1755m)の松並木があった。
旅人はこの松並木を通って宿に着いたが、宿の入口は両方とも、道がわん曲していて、宿の内部が見通せないようにしてあり、土手を築いた見附けが設けられていた。
一般に宿場は防衛上の配慮として見附けを設けているが石部のように宿の両入り口にあったのは珍しいという。
石部宿は、発足以来宿場の人達の努力や幕府の援助によって盛えてきたが、寛文六年二月(1665年)大火が発生、宿中が焼けた。この時は、幕府や近隣助郷(町村)の助けでなんとか復旧したが、以降元禄五年(1692年)6月、宝暦5年(1755年)と打ち続く大火と二度にわたる大地震とその後の野洲川の大洪水で決定的なダメージを受けた。
当時、幕府は明治維新を目前にして手のほどこしようもなかったが、戊辰戦役のあと江戸、大阪などの復興に向けての人の往来が再びラッシュを迎えたことが石部宿の再興につながったようだ。
街道筋には、多くの神社仏閣が南側山麓一帯に点在している。中でも石部東寺(ひがしでら)の長寿寺と同西寺(にしでら)の常楽寺は、共に奈良時代の良弁(奈良東大寺僧正)の開基といわれ、平安時代天台宗の伽藍として再建されるという同じ歴史をたどった。両寺は建物をはじめ仏像など国宝、重要文化財が多く、中世の香りを漂わせるところから石部の正倉院=@とも呼ばれている。(参考図書は町教委編の「石部のしおり」)
石部町は、昭和58年3月から5か年計画で町役場南側・臥竜の森の山々を含む57ヘクタールの雨山地区に約20億円をかけて宿場の面影をしのぶ「石部宿場の里」などの再現と、「東海道歴史資料館」のほか雨山総合グランドなど体育施設六か所を新設。町民をはじめ県外の人達に利用されている。交通はJR草津線石部駅で下車、巡回バスに連絡。(曽我一夫記)
第4回 − 石 部 宿 −130号−
地名の石部は
「白まゆみ 石辺(いそべ)の山の常盤なる
命なれやも恋いつつおらむ」 (万葉集 巻11 2444)
(変わらない恋ならば、いつまでも愛し続けておられるわけだが、
人の命は変わるので、いまのうちに恋をしておきたい)
石部町教育委員会発行の「石部町のあゆみ」によると、石辺は石部であってこれが石部の最も古い史料。ここで石部があらわれてきた理由は、六か年にわたる近江朝廷の時代に、大津京から伊勢や東国に至る道が石部を経由していたためとみている。
旅宿は木賃宿、平旅篭屋(ひらはたご)、飯盛旅篭屋の三種類で、木賃宿は旅人が食料を持ち込み、その燃料代(木賃)を支払っていた。文政11年(1828年)頃には、旅篭屋57軒に対して、木賃宿は6軒に過ぎなかった。
また文政4年(1821年)に発行された「旅枕五十三次」によると、当時東海道の宿場街で、遊女屋のある宿場は五十三次中19宿。飯盛女もいない宿場は舞坂、水口、石部の三宿で、石部はクリーンな宿場だったようだ。
ところが江戸後期の狂歌師・太田蜀山人が書いた「改元紀行」(1823年)には「石部の宿に着く。左に阿里山西寺道あり、また東寺というものもありとぞ。この宿あたりよりして赤前垂れしたる女多し」と書いているところをみると、残念ながら旅枕五十三次は、まゆつばと見られても至しかたない。
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