− 宇治十帖(その1) −




 源氏物語は光源氏を中心とした54帖からなる平安貴族の小説ですが、最後の十帖は宇治を中心に光源氏の子の薫君(かおるのきみ)と孫の匂宮(におうのみや)が舞台に登場してきます。この十帖を特に「宇治十帖」と呼び、その部分だけでも十分物語として成り立つのです。

源氏物語前編では光源氏の人間関係が京の雅の中で綾なす織物の如くちりばめられていたのに対して、宇治十帖では人間の心の機微に焦点を合わせているように私には思えるのです。

薫君は幼いときに聞いた自分の出生の噂がトラウマとなり、社会的地位も約束されているにもかかわらず出世には関心がなく、人の世は儚いものと捉えて、現世に執着の残る恋愛などは避けているのでした。一方、匂宮は「少しなよび和(やはら)ぎ過ぎて、好きたる方に引かれ」とあるように少々浮気者で積極的な性格だったのです。この二人の対照的な性格が宇治十帖で話題を賑わわせていくことになります。


左の図で赤線が現在では非倫理的な関係です。
 橋姫(はしひめ)【四十五帖】



 橋姫の心をくみて高嶺さす
       棹のしづくに袖ぞぬれぬる

 光源氏の異母弟にあたる八の宮は、一時は皇太子になるような立場だったのですが、今は宇治川のほとりで二人の娘、大君(おおいきみ)、中の君(なかのきみ)と不遇の日々を送っていました。八の宮は二人の娘のために出家することもできず、ただ仏道修行に励んでいるのでした。薫君はその人柄を慕い、三年にわたって宇治を訪れていました。
薫君は道を求めるひたすらな念願から、世俗と関わるまいと、多くの縁談にも耳をかさず22歳の今日まできたのです。
ある晩秋の暁、塵外の山荘に見た清らかな姫君、ことに精神的な深さが面ざしや態度に、しみじみと感じられる大君の印象は薫君の心に濃く焼きつけられました。
京都に戻った薫君は匂宮の二条院に遊びに行きました。八の宮の二人の美しい娘の話をすると、これを聞いた匂宮も二人の姉妹に興味を持ちました。 また薫君はこの八の宮の山荘で、かつて柏木に仕えていた老女房から自分が柏木と女三宮(おんなさんのみや)との間に生まれた不義の子であるという出生の秘密をも知らされたのです。
椎本(しいがもと)【四十六帖】
     彼方(おちかた)神社
 たちよらむ蔭と頼みし椎が本
       むなしき床になりにけるかも

 匂宮は初瀬詣の帰りに夕霧の宇治の別邸に中宿りしました。迎えにきた薫君とともに宴を開き管弦を楽しみます。その管弦の音は宇治川の対岸にある八の宮の山荘にまで届いたのでした。その音色を聞いた八の宮から薫君へ文が送られてきたため、薫君と匂宮は八の宮邸を訪れました。この後、匂宮は中の君と文を交わすようになります。
大君25歳、中の君23歳、当時とすれば結婚適齢期を越えているのです。八の宮は今年で厄年ですから、娘の将来を真実の愛で見守ってくれる人物であれば、理想的な人物でなくてもその人に娘を託せば自分は死んでゆけると考えていました。だから匂宮からの手紙も受け入れていたのでしょう。
ある日、薫君が宇治を訪れたとき、八の宮は薫君を頼りとし、姫君たちの後見人になってほしいと頼むのでした。
秋も深まりました。八の宮は死期を感じて「いいかげんな男の誘惑に負けて身を任せ、この宇治を離れていくのではありませんよ。私が死んだからといって屈してはいけません」と姫君たちに言い残します。その後の八の宮は宇治山の山寺に籠もって、そこでその生涯を閉じました。薫君は残された姉妹をいたわり支援しますが、その中でも大君への思いが育っていくのです。





総角(あげまき)【四十七帖】

 総角に長き契りを結びこめ
      おなじ所によりもあはなん

 八の宮の一周忌の日に、薫君は大君に想いを訴えますが、独り身を通すつもりの大君は、薫君と妹の中の君との結婚を勧めます。思いを遂げられない薫君は、匂宮と中の君が結ばれれば大君も諦めて、その心を得られるものと考えました。
中の君に想いを寄せる匂宮を宇治に誘い結ばせます。大君は事ここにいたっては匂宮を婿として受け入れることにしたのです。
しかし、皇子である匂宮は容易に出歩くこともできず、思うように宇治へは通えません。
匂宮を待ち侘びる中の君の姿に、大君は妹の不幸に苦しみ、絶望のあまり病に倒れます。そして匂宮と夕霧の娘である六の君との婚約の噂が届くと、大君は父の遺言に背いて妹を不幸にしてしまったと自分を責めるのです。薫君は大君が病気だと知りすぐさま駆けつけて看病しますが、大君は薫君にみとられながら息を引き取ります。
早蕨(さわらび)【四十八帖】
 この春はたれにか見せむ亡き人の
        かたみにつめる峰の早蕨

 父に次いで姉も失った中の君は、宇治で悲しみの日々を過ごします。春が訪れ、侘しい日々を過ごしていた中の君のもとに宇治山の阿闍梨(あじゃり)から例年通り蕨や土筆が届けられました。
中の君はその心遣いがとても嬉しく思っています。匂宮はそんな中の君を二条院に迎えることにしました。薫君は出発の前日に宇治を訪れ、中の君の実家が逼迫しているように見せないために様々な心遣いを見せます。
しかし、大君に似る中の君を匂宮の手にゆだねることが今更ながら惜しまれ、複雑な心境で送り出しました。
今となっては自分の気持ちを押し隠し、中の君の幸福を願うしかないのです。薫君は匂宮が中の君を大切に扱っているのを見ると安心して嬉しさを感じるのですが、何故か嫉妬めいた心をも抱くのです。



宿木(やどりぎ)【四十九帖】

 宿りきと思ひ出でずば木のもとの
       旅寝もいかに寂しからまし

 まだ大君のことが心に深く残っている薫君は帝から娘の女二宮との結婚を望まれ、気が進まなかったのですが承諾します。
一方、匂宮は母である明石中宮の勧めで噂通り夕霧の娘の六の君と結婚し、次第に二条院への足は遠のきます。中の君は父の遺言に背いて宇治から離れてしまったことを後悔するのです。中の君は宇治へ帰りたいと薫君に訴えます。
薫君は慰めているうちに大君への愛情が中の君への愛情と重なっていきますが、中の君が匂宮の子を宿していることに気づきます。二条院に戻った匂宮は中の君の懐妊を喜びますが、薫君の移り香に気づき中の君をとがめました。
困り果てた中の君は再び薫君が訪ねてきたとき、亡き大君にそっくりな異母妹の浮舟の存在を打ち明けます。
葵祭りが終わって、大君のための御堂建立の様子を見に宇治を訪れた薫君は、偶然宇治の山荘に立ち寄った浮舟を垣間見て大君に生き写しの姿に感動するのです。

                        (つづく)
                       参考:村山リウ著 「源氏物語」 創元社        (財)宇治市文化財愛護協会 現地説明文


(遠藤真治記)

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